広葉樹コンシェルジュと晩夏の森
千葉県産材家具の企画も進める千葉県クラシカさんにご来社頂き、飛騨地域で活躍する木材流通のエキスパートである広葉樹コンシェルジュの及川幹さんに森を案内いただきました。
まずは工房の事務所で森の現状などを聞き知識をあたまに入れてから森へ。岐阜県飛騨市古川町黒内地区りんご園の中を通りつきあたりからのびる林道を進み針葉樹の森を抜けると本日の目的地、広葉樹の伐採跡地に到着します。昨日の台風の影響が残り小雨が降る中ではありましたが、生き生きとした深緑の森を歩く晩夏の森歩きとなりました。
森を知る
日本の森と飛騨の森
森に入る前に・・・と
日本の森と飛騨の森について学ぶ座学の時間を頂きました。及川さんのとても分かりやすいスライドで、ぐんぐんと理解が深まります。「人工林・自然林・原生林の違い」は驚くばかり。「飛騨の森林割合、人工林自然林の比率」を見ると飛騨で木にまつわる仕事をしている人が多い理由が分かります。
ですが、大事なのは数値的なことではなく「森と人とのかかわりかた」どうすれば人を森に近づけることが出来るのか、どうつなげていくのか。それはまさに木と暮らしの制作所の理念である「森と木と暮らしをつなぐ」ということ。これは一人、一社で解決できる問題ではなくて、たくさんの人がつないでいく必要があります。
二つのキーワード
広葉樹にどういった問題があるのかを明確にしてくれているようなVUCAブーカとこれからのものづくりが目指すべき一つの道筋を示してくれるVernacular ヴァナキュラー。今回の及川さんの講義の中で出てきた聞きなれないこの2つの言葉について木と暮らし的目線を入れつつ少し解説しておきます。
▶VUCA ブーカ=飛騨の広葉樹
Volatility(変動性)
Uncertainty(不確実性)
Complexity(複雑性)
Ambiguity(曖昧性)
ブーカは4つのことばの頭文字を取った造語で、社会やビジネスにとって、未来の予測が難しくなる状況のことを意味します。元々アメリカで使われていた軍事用語だったそうですが、今では変化が激しい世界情勢を表す言葉としてビジネスでも利用されるようになったようです。ビジネスの世界のことばですが、「いつ、どの材種がどれくらいの量、どんな状態で出てくるかわからない。特性の異なる材を扱うということは製材加工、材料加工や在庫管理の色々な場面で複雑で煩雑。」及川さんが教えてくれたブーカは、まさしく広葉樹そのものを示す言葉でした。
▶Vernacular ヴァナキュラー=木と暮らしが目指すものづくり
「その風土特有の」といった意味があり、建築などでよく使われる言葉のようですね。石が取れる地域では石を素材として、木が豊富な地域では木を素材として建てる。ヴァナキュラーアー建築とは風土に合わせその土地で取れた材料で建てられた建築の事をさします。
こういうデザインがしたいから、それに合う材を探してくる。という流れではなく、今ここにある材・ここでできる技術をどう組み合わせ、どういった提案ができるのか。材に寄りそったものづくりは私たちの課題そのものとして、クラシカさんの後ろで話を聞いていました。
森を体感する
アドベンチャーな林道とハゲ山
講義を受けた私たちは早速森へと向かいます。工房から約20分、飛騨市黒内地区のりんご園を抜け舗装された道から砂利道の林道に入ります。砂利道と言っても街中の駐車場にありがちな砂利道とはだいぶ様子が違っています。昨日の台風の影響もあり、水が流れた林道には細い川ができていて、こぶし大の岩がゴロゴロと転がり、頭上の木々からは小枝というには大きすぎる枝も落ちてきていました。ドキドキというよりは車が傷つかないか、パンクしないかハラハラしてしまうアドベンチャーな道です。
ノロノロと車を進めること5分ほどで開けた場所に出るので、そこで一旦車を降り、及川さんから解説を受けます。伐採跡地が見渡せる場所なのですが、木々が伐採された様子はまさしくハゲ山。こんな様子を見て「森は再生するんです」と言われても正直疑いたくなる光景です・・・
伐採跡地は新しい森
そこから実際に森の中へ。林道から土が剥き出しのぬかるんだ崖を登り、森の中を進みます。森の中には「木の赤ちゃん」と呼ばれる木の実から芽吹いた実生ミショウが隙間なく地面を覆い、苔むした倒木をまたぎ、黒文字やマンサクなど中低木をかき分けながら道なき道を進みます。林道では降っていた雨も、森の中では葉が傘となり雨音だけが聞こえます。
光が差し込む伐採跡地に入ると実生に加え切り株から萌芽ホウガと呼ばれる新芽が競うように伸び、腰高まで伸びた芽が邪魔をして奥まで入れないほど。外から見るとまだまだハゲ山のように見えた山肌は思っていたよりも生命力を感じるものでした。
飛騨でいう伐採跡地は同時に生まれたばかりの新しい森のことを意味します。新しい森の中で木が切られて終わりではないことを実感することのできる時間でした。
書いた人 木と暮らしの制作所 松原千明