【英国研修記】遠くまで
スケジュールをこじあけみんなのお休みを振り替えて作った連休。思い切って予約した航空券で笑えるくらいの貧乏旅行。日本から30時間近くかけてたどりついたロンドンでは普段乗らない地下鉄やバス、Uberのシステムに翻弄され、道案内をしてくれた警備員さんや駐妻の皆さん、Uberを呼んでくれた超親切なメキシコ人に助けられ、やっとの思いで辿り着いた目的地ジャパンハウスロンドン。
思わず
迷子
地下鉄というのはどうにも厄介で、電波はなく頼りのグーグルマップは使い物にならず、外に出ようとすれば、思いもよらない場所(地上)に出てしまうものです。
案の定、最寄りハイ・ストリート・ケンジントン駅で私たち4人は迷子になっていました。
ここに来る前に何度も迷子になっているので、とりあえず外に出て文明の利器に頼ろうとしたそのとき、目の前に見覚えのあるもじゃもじゃ頭・・・そう、そこに居たのはSPREADの小林さんでした。
本当に救世主!
ありがたいことに会場まで案内していただけることになりました。
ショーウィンドウの中に
ジャパンハウスは1933年に建てられた百貨店の跡地を利用しロンドンでも有数の目抜き通りに位置しています。
小林さんに導かれるまま、立派なエントランスを横目に連れていかれたのはその奥のショーウィンドウでした。
ショーウインドウの中には飛騨で伐採されたクルミの木。
木と暮らしの制作所が制作したGAIASTYLEの一枚板が堂々と飾られていました。
目の前で足を止めてくれる人たちを見て本当に来てよかったと思えた瞬間、今までのこと繋いでくれた人たちのこと、大変だったことや嬉しさが溢れ出してしまいました。
この木は丸太の時は腐っている可能性が高いからとパルプチップになる予定で土場に積まれていた木でした。もしかしたらと小さな可能性を信じて挽いてみると濃く力強い木目と色、色気というか挽いた瞬間から艶のある木。当たり前ですが、この時は私達もこの木もロンドンに来ることになるなんて思ってもいませんでした。
屋外から見える面には蝶々型の一般的なちぎり、店内から見える面にはGAIA STYLEの仕様で真鍮を割れ止めに使いました。
外からも内からも見えるように配されたキャプションにもその事が書かれています。
展示には特注のアクリル什器を現地でご用意頂きました。クリアのアクリルのおかげもあり、宙に浮いたように展示される一枚板はまるで絵皿のよう。テーブルとしてではなく絵画のように見えました。
余談ですが「ちぎり」という言葉にどのような感じを当てはめるべきなのか悩む事があります。家具店のブログや木工家のウェブサイトで一般的に多く使われているのは今回のキャプションにもある「千切り」です。
一般的な【千切】には手などでこまかに切り離す。こまかにばらばらにする。という意味が含まれ、読み方を変えると千切り=せんぎりとも読めてしまいます。【契】だと夫婦の約束を結ぶ。肉体的な関係を結ぶ。といった意味なので、二つの材料をつなぎ合わせるという意味では近い気もしますが一般的ではありません。
なので木と暮らしの制作所では普段どちらとも言えないひらがな「ちぎり」で表記するようにしています。
会場内の喫茶スペースの一角、飛騨地域の大手メーカーの椅子中心にも木と暮らしの制作所の一枚板を置いてもらいました。
インターンで来ていた森林文化アカデミーの迫間くんにもちぎりの加工を手伝ってもらった板です。
きっかけ
壁に取り付ける木
会場は物販・喫茶スペースがある地上階とメイン展示会場のある地下階に分けられていました。
地下階については以前の記事でご紹介させていただきましたが、地下階で展示して頂いたCONOURÉコヌレについて、もう少し触れさせていただきたいと思います。
春頃「輪切りの丸太のサンプルを手配できませんか」とご相談頂きました。話をよくよく聞いてみると、海外の展示会で壁に取り付けたいという要件。
丸太は用意できても今から準備しても乾燥はギリギリだけど、そもそも樹皮がついた丸太なんて海外に検疫に引っかかるんじゃ・・・?と色々調べてみるとやはり大変そうなことが分かりました。(問題があるとコンテナごと入国できなくなることもあるのだとか)完成品であれば送れることを確認。壁に付けるのであれば、とCONOURÉコヌレを紹介することにしたわけです。
いいじゃん!
そういってもらえて、私たちはロンドンに行くことになりました。
SPECIAL THANKS
2020年初夏、休業を余儀なくされた私達が出した課題に町さんが答えてくれて、2023年大きな動きにつながりました。町さんは木工職人でありクライマーです。指のけがを労災かと心配すると大体クライミングでついた傷だったりします。
method 坂井小夜香さん 山田遊さん SPREAD 小林弘和さん 山田春奈さん(左から 真ん中は松原)
この場所に導いてくれた皆さんに感謝しかありません。ほんとうにありがとうございました。
書いた人 松原千明
この時の事を覚えておきたくて、記事に残しました。